どう思うのだろう
人の一生。どうなるかその人にもわからない。
そんな感じが当たり前です。自分の終わりを自分で決められるなんて、ほとんどないこと。
今日会った人の話の中で、親の介護の話しが出てきて。
色々最近聞いたことと併せて考えるものがありました。
僕自身は幸いというか、まだ現時点で親の介護というものをやったことはありません。親父の最後を看取ったというのはあるけど、ボケてきた親の面倒を見ることは経験がありません。
周りの話でそんなことを聞くと、自分にそんなことができるのだろうかと思ってしまいます。
おそらく経験者の人でも最初はそう感じているものの、待ったなしで始まっていくのでしょう。
そんな僕がどれだけ介護のことが大変か、語ることはできません。
想像以上のことが待っているのでしょうから。ただ、大変なんだと推測しかできません。
そこで、逆に介護される立場で考えてみると、自分が人に面倒をかけず、なにより自分が好きに出歩いたり、感じたりということができなくなる。そのくらいなら自由にできなくなった時点で終わった方がいい。そう感じている人が意外に多いのでは?
そんな話しを聞いていて、思い出したのが先日「尊厳死」で自ら終わりの日を決めて逝った人のニュース。
おそらく日本では倫理的なこともあって、認められることはないんじゃないかと思いますが、大いに考えさせられました。
僕の考えとしては、やはり死ぬ時までは自分では決められないけども、自由が効かなくなった時に終われたらいいんじゃないか。そう思います。それは自分が90歳を超える年齢に達しないとわからないからかもしれません。あくまで現時点での話ですね。
今後日本でも高齢者が増えて、そういう施設なども増えることでしょう。
どうなんだろう?やはりその時になったら、少しでも長生きしたいと思うのかな?
死にたいわけではなく、元気になりたい。
うん、たぶんそう思うような気がします。