共有する時代
こういうネットの世界では昔からよく出てくるワード『共有』。
知らないうちにリアルな、例えばどこかの工場などでも一つの技をみんなで共有しようとか…あるでしょ?
正直、自分の性格的にはこの共有という流れはあまり好きじゃない。単純に解釈すれば、自分の得た技を簡単に誰でも使えるようにする。
ってことは、頑張ってきた自分には何か見返りでも?
なんてことを思ってしまう昭和な自分。
ただ本音はそういうせこい考えがあるにせよ、共有された情報で助かったことも多々ある。それが現実。
目の前のことじゃなくて、そこから発生するコミュニティ、代わりに入ってくる情報など。それまでの自分の技に胡座をかかないようにするなど。
できることは積極的に打って出ることも、時には大事なんでしょう。
今、企画したことをやっていくうえで、そういう考えをどこまで入れられるか。おそらくそうすることで、コミュニティが盛り上がる可能性があるかもしれない。
古い考え方にもちゃんと意味があってのこと。
新旧の考え方をつないでいく大事さを、今になってすごく感じる。
これは仕事でも生活上の付き合いでも、令和の今は『共有』という考え方を少しは取り入れなきゃいけない。
気がつきゃバリバリ昭和なんだな、自分。