遠く離れて
久しぶりに涼しい一日となりました。
普段の生活の中では、このくらいがいいところですねー。
昔の夏は案外この位だったんじゃなかろうか、なんて思います。特に都内では照り返しで、周り全部がフライパン状態ですからね。せめて涼しい風があれば、気分もずいぶん違うもの。
さて、先週末は伊豆に行っていたわけですが、あまり大きな声じゃ言えないのですが、5日は私の父の命日だったりして…^^;。
まあ家の家族はその辺りがかなりユルいので、私も先週の別な日に新潟の土産を仏壇に供えて、手を合わせてました。かなり適当ですよねー。恥ずかしいな。
でも、父がこの世を去って、すでに10年以上経ってもあの時のことは未だに忘れません。
あの時だけではなく、あの頃という方がいいのかな。なにげない会話の切れ端を憶えています。
そんな記憶から、あらためて父の考えというものを想像しています。そしてそれが歳を追うごとに、多分正しいのじゃないかと思うのです。
それは、「好きなように生きて、納得する人生にしておけ」というもの。
父の他界した後、色々と親戚から話を聞くと、かなりの問題児だったようで。でもそこは人の話。多少話を膨らませているとは思いますが、周りからそんな印象を持たれていたことには間違いなさそう。
そんな人だから、まわりの親、兄弟は必要以上に父の人生を、決めたレールに乗せようとムキになったところがあるな、と。
そう考えると、父は本来の生き方ではなく、すごく我慢の人生だったのかなーなんて、想像するんです。まあ、大人になったら我慢する場面はたくさんあるけど、それが納得いくものだったか?
そんなことを考えると、父は最後に前述のようなことを言いたかったのだと、思ってます。
何故なら、それは父自身がそうしたかったから。
色々あった父の人生だったけど、いまや遠くあの世でバリバリな事をやって、じーちゃん困らせてるんだろうか(笑)。
本当は自分もそんな父を見たかったのかもそれません。
そして、自分に託されたのだと。
いいお話です^^。
以前霊眼を持つ巫女の知り合いが打ちの死んだ親父の言葉を伝えてくれたんです。
ちょうど俺が親父にわだかまりを持ったまま憎んだまま親父が死んでしまい悔いが残っていたときなんですが、その巫女の女性は
「あなたのお父さんは浄化されて今は高い世界にいます。お前は心配せず思ったように生きなさい、と言っています」と話してくれました。
救われた気がしました。
それが本当なのかはわかりませんが、それを素直に信じて”好きなように””思ったように”生きるようにしています。
でもそれがやっぱり素直で健やかな心のままに生きることにならないとな、と自分を見つめたりもします。
Gatchさんもお父様は自分の親父のように思える日記でした^^。
感(^人^)謝
好きなように生きるというのは、誰しもが当たり前のように望んでいる生き方。
でも現実はなかなかそうはさせてくれないものですね。
でもそうなるように自分なりに努力して、納得できるようにすることすら、やらないで愚痴る人生にはしたくないなー、なんて考えます。
そして、それが父の思いと重なる…。そんな気がするんです。
おそらくあんじゅなさんのお父上も、同じなんじゃないかと思います。
結果も大事だけど、そのプロセスも大事なんですね。